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2016/10/14

10/13 ひたちなか海浜鉄道からキハ2004搬出 起動の瞬間 平成筑豊鉄道への旅立ち

クラウドファウンディングでの資金集めに成功し、ひたちなか海浜鉄道から平成筑豊鉄道へ移されて、かつての準急「ひかり」に見立てて整備・動態保存されることとなった、キハ2004。

13日の日中には、車体吊り上げとトレーラー輪への装架が終わっていました。



一緒に過ごした車輛たちとも、もうすぐお別れです。





夜。静かに出発の時を待っています。



最初、車輌の近くまで行っていいものかどうかわからなかったのですが、酔っぱらいのおっさん二人がどんどん車両が置かれているバス車庫内に入っていこうとするので聞くと、「ここは道だよ~」とのこと。恐る恐る着いていったら、車輌近くには結構奥の人がカメラを構えていました。
(酔っぱらいのおっさんたちは、突き当りの柵を乗り越えて踏切の向こうの住宅地に消えていきました...)



キハ2004を間近で見るのも、これが最後ですね...





11時前、まず台車を積んだトラックが移動(この部分映像暗いです)。
映像1分38秒めで、車体を乗せたトレーラー牽引車のタイヤが動き始めます。ついに、50年近くを過ごした湊線を離れる瞬間です。



駅前広場へ向かい、広場を神業のように回り込みます。



一旦駅前の県道上で停車。



映像6分10秒のところで動き出し、結構なスピードで走り去っていきました。


準急色を纏い、キハ55系にも通じる1段上昇窓のキハ2004が、新幹線にその名を召し上げられるまで九州で高速準急として名を馳せた「ひかり」を再現するために、九州にお輿入れする。すごいことです。「ひかり」のサボまで入れてありました。
キハ2004はキハ22の傍系車ですので、キハ55系とは窓の高さは異なりますが、よく似た車輛であることは間違いありません。

キハ2004は留萌鉄道出身の車両ですので、北海道の炭鉱鉄道から九州の炭鉱地帯へお輿入れすることになったわけです。
北海道の炭鉱鉄道の車輛たちは、その多くが茨城の各非電化私鉄に譲渡され、活躍しました。最後に残ったのがひたちなか海浜鉄道の車輌たちです。炭鉱地帯から炭鉱地帯へ、という歴史の継承もさることながら、茨城が北海道の炭鉱鉄道の多くの車輌たちの受け皿となってきた歴史の保存にもつながるものと思います。

自分も、すこしばかり募金したので、車内に名前が刻まれるはず。
無事九州に着いて、整備され元気に走る姿を早く見たいものです。


撮影:2016/10/13
撮影機材:Nikon D3300(初心者)







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